海流民(うみるみん)
Displaced People of the Sea
に群発的に発生した身元不明、もしくは戸籍が存在しない、親を亡くした 遺児たちの蔑称。
、日本国は 遺児を保護し、国連、民間団体などの協力を経て、世界各国から寄せられた義援金を元に、生活・進学支援が実施、運営された。また、里親制度も設けられた。
しかし、 の混乱に乗じて、 遺児を私利私欲、利益のために利用する組織も存在した。それは、日本国政府も例外ではなかった。
を免れた 地方、 地方は、 受け入れに際し、行政の管理が行き届かず、国家としての統制が崩壊し始める。この一時的に起こった無法地帯に紛れて、窃盗・暴行・殺人の犯行が相次ぎ、犯罪者は増加の一途を辿った。
最早、警察組織のみでは治安の維持が立ち行かなくなった頃、同時に、受刑者を収容・監視する役割を担う矯正局、刑務官も激務に次ぐ激務で身体的・精神的疲労がピークに達していた。
国は警察官・刑務官の大量離職を予測し、実力組織を維持するため、 遺児に対し公務員を養成する就学支援を実施した。
国家そのものが、組織を維持できる規定の人数を 遺児から調達し、幼児期より、警察・刑務官に関する教育を施した後、15歳から担当の職務に就かせる計画であった。
だが、国の予測よりも想定を遥かに超える刑務官の離職が相次いだ。
国は、刑務官の大量離職を理由とせず、『 における労働力低下を勘案し、児童の職業力を高め、未来の労働力促進のための確保』を理由として掲げ、労働基準法を改正。就業最低年齢を15歳から10歳へ引き下げた。
また、 遺児の年齢把握は、厚生労働省が執り行った。その方法として、身体的成熟度を基準に厚生労働省が持つ最新のデータから年齢を導き出す方法によって行われた。
しかし、この方法は正確ではなく、実体は労働力不足の解決に向けて、早急な対応を迫られている政府が10歳に満たない児童を労働に従事させたい早期解決の思惑から、敢えて不正確な年齢把握法を選定したのが実情である。
やがて、一人の 遺児が、刑務官として一番重い業務を一人、任されることになる。
それは、アンドロイドが普及された時代になっても、コストの面から 遺児の代わりになることはなかった。
事実、 遺児の収入はアンドロイドを雇うより遥かに安価である。
また、成人に満たない 遺児に対し、死刑執行を、その 遺児にのみ負担させ続けていることは秘匿されている。
遺児の政府機関以外での就職先として、アトモスタジオ等が挙げられる。
その後、法務局は、死刑制度を廃止する一つの案として終身刑を導入しようと、 遺児の次の担い手に、歳を取らず、アンドロイドよりも高レベルな思考を持つ、カリカチュアに刑務官の役目を与えれば、管理工数が多く、人手が大量に必要な終身刑の導入を図れると踏んだが、アトモスタジオの初代社長により断られ、断念する。
ユニの元マスターは海流民である。